メモ
授業登録がうまくいかなくて焦った
まず英語のクラス分けテストがとふるの点数上免除されてcollege level(一番上のレベル)に配属されたけど、ぜったいそんなレベルは私にないので、もうその時点で終わってたのだ、とふるの点数なんて偶然で採れたものだった
そっからはじまっってもう気分が萎え萎えなのに授業登録がうまくいかない
自分はこっちでとった単位を日本の大学に変換したいから、専攻関係なしに授業がとれると思うし、先輩もそういってたっていってもなんのこと?って顔されて、数学が必修になりそうになるわ、とりたい授業は消滅してるわ、危うくcollege sucsessとかいう授業を取らされそうになった、あ、college successって留学報告書に「この授業はcollege studentは必修だけど取る必要は私たちはなかったしあんま意味なかった」ってかいてたあったやつじゃんってなって、詰んで日本の学生ambassadorの人に相談して、もっかい履修アドバイザーの元へいった
留学報告書に「履修アドバイザーは誰が学部プログラム生か把握してないから注意が必要」ってかいてあったけど、このことかってなった、あやうく一般留学生(このコミカレで卒業予定のある人)の必修授業を受けるところだったのだ(私は受ける意味がないなぜなら大学生活の過ごし方を学ぶ授業なので)
学生ambassadorの人に全部通訳で説明してもらって、やっと履修アドバイザーに理解される始末
大切なことだから、頼れるものは頼っといたほうがいいしプライド捨てる場所だったけど、自分の英語力のなさに愕然とした
「アメリカにきて留学しにきて結局通訳してもらうってなに?」
すっごい悔しくて、
周りのcollege levelの日本人は普通にペラペラで、トライリンガルの子とかいて、
他の国の人はいうまでもないし
事前に大学で授業登録の紙出したのに、それはなんの意味もなかったからなんで?って感じにもなったし
大学とコミカレの連携は面白いくらいうまくできてない
もはやそれには慣れてなんの気も浮かばないけど、ほんとに英語ができないといつ単位を無駄にするかわからない危機的状況
どうしてこんなにも英語ができないんだろう
原因はいくらでも思いつくからどうしようもない、自分の怠りだ
ルームメイトが車でシアトルまで連れてってくれたのに、私は会話の中で相槌を一言うつか、笑うくらいしかできなくて、
今日はいつもより自信がなくて、声も小さくなって
ただでさえクソみたいな意味わかんない英語が聞こえないくらい小さい声になって
もうどうしようもなくて
なのにルームメイトはゆっくりはっきりはなすように心がけるっていってくれて
私の英語が間違っていたら直したほうがいい?ってきいてくれて
20年間も生きてるのに、大学って場所に行ってるのに、自分はアメリカの3歳児よりも英語ができない
言語が使えないから、私の今まで培ってきた知識に出番は訪れない
高校そこそこのとこ行って、大学もまぁ名前は知れてるところいって、きっと日本国内だったら、そこそこ(ほんとにそこそこ)の人生なんだろうけど
こっちに来てからはただただ無力、赤ちゃんも同然
悔しいって感情は、適当にできない場面だからこそ浮かぶ感情だから、それはきっと良いか悪いかで二極化したら良いことなんだとは思う
でもただただ今は悔しいしやるせないし
言語ができないってことは、私の知識とか以前にそもそも人間性をだすことができないってことであって
もどかしくて、はがゆくて
こっからどうなるか、自分でもわからない
3月の自分はどうなってるんだろうか
ね
9/4(2)
で、シアトルについてからが本当に長かった
まず入国審査にかなり時間をとり、10:15くらいにやっと空港をでる
オルカカードという、日本でいうSuicaのようなものを買うのに一苦労
そこから電車にのってモノレールに乗り換え、ホテルに向かう
電車では、荷物の収納を手伝ってくれる人が多く、朝、山手線で冷たい人間を大量に見て来た私はそこで文化の違いみたいなものを若干感じた
ホテルについて、荷物を置き周辺散策、スペースニードルという建物の近くでミートパイを食べる、売店のおじさんが優しかった
そこからは隣のpop museumというところに移動して、いろいろな展示をみた
SF映画の展示だったり、ホラー映画の展示だったり、ファンタジー映画の展示、ゲームの展示、音楽の展示、などとにかくpopのくくりに入るものならなんでも展示しちゃえ、みたいなでかいミュージアムで、17:00の閉館時間までそこにいた
17:00になった瞬間そっこー全員追い出されるあたりにも、国の違いを感じた
日本だったら、じんわりと追い出していくだろう、閉館時間をすぎてもまだまだ人が残るんだろうな、なんていうのも想像できた
そのあとはモノレールで再びお店の多い通りへ戻る
スターバックスの1号店を訪れ、無事1号店限定のもろもろをゲット、1号店限定のドリンクも手に入れて道路をわたり海沿いへ
座りながら海を眺めてスターバックス(しかも1号店の飲み物!)を飲む
この時は至福だなあ、と思った
途中でメガネを落としたので拾ったら、落としたところに0セントのコインが落ちていたらしく、隣のおじさんが「コイン落としてるよ」と私に声をかけた
しかしその10セントは確実に私のものではなかったので(そもそもセントを持っていなかった)私のじゃないって言ったら、もらっちゃえみたいになって
「Good Luck!」みたいな
でそっからちょっと会話がはずんだりして、そのおじさんはフランス生まれの移民でドイツ語も話せる、みたいなことがわかったりした
自分の英語が通じているときは嬉しい
私はそのセントコインをなんとなくお守りにしようと思った
シアトルの街並みを歩いても全然アジア人は見当たらない
自分がマイノリティであることをひしひしと実感する
人を見た目で決めつけるのは良くないが、やっぱりいかつい格好をして街に食べ物を捨てる黒人の人は恐いし、観光客だから英語が通じないとおもって(そう思われてるのが悲しいし実際そうだが)聞こえる声で私たちのことを言ってる白人もなんだか、と思った
肌の色は関係なくそこは一人の人としてみるべきだ、優しい黒人も優しい白人もいる、そんなことはわかっている、わかっているが、どうしてもそういう意見が自分からでることや、自分も人種を気にすることに、色々と考えるところがあった
スタバを飲み終えて、少し海を眺めていたらすっかり19:30になっていた
緯度が高い国は、いつまでも明るい、日本の19:30だったらとっくにくらいが、太陽がやっと沈みはじめる、くらいの感じだった
モノレールで再びホテルへ戻り、スペースニードルへ
展望台から見る夜景はとても綺麗だった
そして展望台で、小学校以来の友人に会うというびっくりイベント発生
市内で卒業してから一回もあわなかったのに、アメリカというビッグカントリーのワシントン州(かるく北海道の大きさを超える)にあるシアトルの建築物で会うとは、鳥肌レベルのイベントである
向こうは、留学してから半年経っていたのでシアトル事情をいろいろ教えてもらった
夜の治安はかなり悪いし、やはり大麻の売買吸引は当たり前に行われているらしい、合法だけどやっぱりこわい、治安のわるいバスなども教えてもらった
その子はもう普通に英語ペラペラで、ああすごいな、と思った
今日の私は、ただの注文でさえおどおどしていて、それこそ英語が通じれば嬉しいが、24日からは英語で授業を受けるというのに、英語が通じたレベルで喜んでいていいのだろうか(いや確実によくない)という現状だ
自分も半年後にはああなっているのだろうか、先はまだまだ見えない
治安が悪いという情報も、現地に先に行っている人からきいたことで改めて確認し、ホテルに21:30に戻る
日本では23:30くらいまで歌舞伎町周辺をうろうろしてるくせに、国が変わるとこうも自分の身を守る意識も変わるので、不思議だし、シャレにならないのが本当にこわい
ホテルのレストランで夕食を食べようとしたものの、ラストオーダーを過ぎていたため断念、自販機のカップヌードルを買った
カップヌードルを販売している自販機を置いているくせに、部屋にフォークもスプーンもお箸(まぁこれはないだろうが)もなにもかもなかったので、苦肉の策、マドラーでカップヌードルを食べた(そして意外といけた)
今の時間は23:24だ、あと30分で9月4日が終わる
9月4日は40時間くらいあった、そしてそのうち睡眠時間につかったのは7時間くらいで、もう身体はへとへとだ
シアトルにきてだいぶ時間が経ってるのに、成田空港で天丼たべたのが22時間前だったときは、24時間経ってないことに驚いたし、24時間以内でできることって幅広いんだなと感じた
明日はいよいよ自分のかよう学校がある地区へ移動する
まだまだ始まったばかりというか、始まってすらいないような1日目は本当に濃い内容で終わった
このブログは帰国日にでももう一度見返してみることする
9/4(1)
2018年9月4日という日は、20年間と35日生きてきて一番長い日だった
前日、荷造りがだるすぎて怠惰になった私は、電話だのラインだのおしゃべりだので現実逃避をしまくり、荷造りを終えた5時に無事()就寝
そして、7時に起きて、9時に家を出発した
もう家に7ヶ月帰らない、という現実感のなさや、忘れ物をしていないか、などの不安感に襲われながら、電車で成田空港へむかった
12時ごろに成田空港に着き、搭乗手続きや荷物の手配を行う
13時ごろにお見送りに来てくれた心優しき友人たちと合流して、天丼を食べた
展望台に行って飛行機を見たりして、”このまま普通にまた家に帰帰っちゃいそうなような日常感”と、”本当に7ヶ月この人たちに会えないのか、家に帰れないのか、という現実みの無さ”の合間に生きていてぐちゃぐちゃだった
いよいよ搭乗の時間になって、感情がよくわかんなくなって泣いたり、急に涙が出なくなったりして、みんなとバイバイしたときに、「あ、ほんとに留学にいくんだ、私」という気持ちになった
たくさんのラインとかDMとかが来て、返しつつ搭乗、お茶を飲みまくった私は飛行機に乗ってから離陸までの間に3回トイレに行き、無事頻尿を日本で達成(??)
機内の中でなぜかラインとインスタのDMのみが使えたため、友達とラインしたり、機内食を食べたり、寝たりして9時間のフライトを過ごした
ライオンキングを見ようと思ったが日本語字幕もなく英語も聞き取れず挫折したり(なさけな)、機内食を食べてる最中に飛行機の電気が消えてしまい、暗い中食べなくちゃいけなくなったりもした
「ビーフorチキン?」と外国人のCAの人に聞かれて、「ビーフ!」と力強く答えた姉の元にきた料理がまさかのがんもどきメインで「がんもどきwithビーフ(薄着れ2切れくらい)」みたいになっててかわいそうだった(爆笑した)
睡眠をがっつり取る予定も、普通に首を痛めて4時間くらいで私の睡眠は終了
しかも足はぱんぱんで、ああ「これがエコノミー症候群」というのを実感したりもした
機内で音楽を聴きながら友達のラインとか手紙とか見返して、ああってなったりもして、7ヶ月本当に頑張ろうって思ったりもして
そんなことをやっていたらいつのまにかシアトルに着いていた
9時間は長いようで短く、あっという間にシアトルについた
着いた時点でシアトルは9時20分、16:00ごろに出国して9時間のフライトを飛んだ時点で4日が25時間を突入するというバグに対面
こうして私の4日が9:20から再び始まったのだ
じゃぱにーずまいんど
昨日は鎌倉と江ノ島に行った
県内のくせに行くのはワンチャン高2ぶりで、ひさしぶりだった
私が寝坊したり、乗り過ごして横浜まで来てしまったりしてなんやかんやお昼過ぎくらいの到着になった
あたりには国内観光客も外国人観光客も大量にいて、長谷寺のあじさい見物なんか130分待ちになっていた、ディズニーかよ
カップルがやってきて隣いいですか、と声をかけられる、いいですよ、と言って席をあける
恋人同士で来てる人は昨日たくさんいた、あたりを見回せばカップルである、もう何も思わなくなったしなんなら微笑ましい(ババア)
小町通りにはいくらか短冊が飾ってあり鶴岡八幡宮には七夕の飾り付けがしてあった
「七夕っていいよね、爽やかで」なんて会話をするのが心地いい、日本に生まれて良かったと思う瞬間である
おみくじを引くときに「大吉かいっそ凶のほうが持ってるよね、逆に、エンターテイメント性高い」とか言ってたくせに、2人とも吉を引いた、ある意味エンターテイメント性があるな、とも思った
「通りの真ん中は神様が歩くから、うちらは端っこを通らなきゃなんだよ」なんて会話しながら鶴岡八幡宮を出て長谷寺へ向かう
長谷寺にいく途中でおいしいかき氷を食べた
お祭りのかき氷もいいが、お店のあのちょっとデラックスなかき氷は一層美味しく感じた
長谷寺について観音様を見た
言葉では説明できない神聖な空間がなんとも心地よかった
神社の後は寺とはミーハーもいいところだが無宗教で良かったと思った
そのあと鎌倉の大仏も拝見し江ノ島へ
海をみて話すのは楽しかったし、いくらでも続けられるな、と思った
寺とか神社とかを楽しめる性格でよかったと思う
日本のそういうところ、好きだなぁ、と改めて感じた1日だったしとっても充実した休日が送れた
来週の日曜日はもう7月だ
やることはいっぱいあるけどどれもこなしていきたいと大仏ではなくここに誓うことにする
もうわからない
五月病の終わらぬまま五月が終わってしまった
五月病という名前は都合が良くてそれに乗じて鬱々してたくせに、その五月も終わりである、今度は六月で梅雨だから鬱とでもいえばいいのか、わからない
五月は気持ちが悪いぐらいに秒で終わってしまった
ついこの間だと思ってた日々の出来事はいつのまにか先月ではなくなっていて、四月の思い出が五月の思い出であるかのように感じる
それなのに五月の思い出は風化しているかのようでよくわからない
五月は自分の気持ちに色々変化もあったように思う
それが良い変化なのか悪い変化なのか、わからないが、たぶん悪い方へ悪い方へと流れていった
毎日毎日これでもかというくらいに暗い気持ちが湧き出てきて、今までどうやって生きていたんだと思うが、毎年五月らへんはこんなだったようにも思う
自分はこんなに暗い人間だったのだろうか
いつからこんなに自分のことについて考え始めたかはわからない
こうやって自分のことを考えているうちはまだ思春期なんだろうな、と思う
ただ十七歳の思春期と、十九歳の思春期では後者のほうが明らかに気持ち悪く、大人でも子供でもない気味の悪さだけが残って気持ちが大変悪いことだけははっきりとわかるし、それが本当に本当に苦痛でたまらない
自分の悪い点はいくらでも思い出すことができ、またそれは直すことのできないものが多く、大変嫌になるが、それが今解決することはないのだろう
性格が終了しているので、他人の嫌なところを文章化したり愚痴をいうと、大抵すっきりしてしまうことも多いが、自分で生み出した嫌なところを文章化したり他人にいったことで、嫌な気持ちがすっきり晴れることなど絶対にない、意味がない行為だ、ただそれでも自分の中からずらずらずらずらと感情が流れ出るとそれを溜めておくことができず、どうにか外へと出すしかなくなってしまう
ただそうするしかない自分が気持ち悪くなって、他人からの肯定を少なからず求めてしまいたくなるときが大人になるにつれて増えている気がする
中学生のときの自分の方がよっぽど強いかもしれない
大人になるにつれてわかる他人と自分のギャップにも恐れを常に抱いているし、そのギャップが埋められないものだとわかるとどんどん殻にこもってしまう
そのギャップを埋めるのにも、自分の存在価値を見出すのにも、求める他人がいないと無理なことにも気づいて毎晩毎晩気が滅入ってしまうのが現状だ
他力本願な人生はだめだとわかっていながらも、結局他人の力を借りたミラクルが起こるのを毎日妄想しているだけではないのか?
もう自分でどうしたいのかわからない
明るくなりたい
くそだる五月病
はやく寝なきゃいけないのに、ブログを書いてんのがほんと阿呆らしいけど、くそだるい気持ちが頭につらつら出てきてしまったので文字起こしする
明日から学校だけど、本当に行きたくない
8時に起きるという行為が無理すぎる人間には睡眠が必要なのに大学があると寝られない理不尽だ、はやく寝れば解決する話だけど、それなのにこの時間にブログを書く、阿保で矛盾の塊である、大学が毎日3限からならいいのに午前はもう眠るためにあるようなもんなんだから(?)
2限から英語の必修で本当に心底行きたくない行きたくなさみの極み
相変わらず友達がいない、周りが悪いのではなく私の初期人間関係の構築能力がかなり欠けているためである
でも周りも周りで新しい人間関係を積極的に作ろうとしてる様子でもない、だからより友達はできない
100分どうでもいいことに気を使ってしまう、英語の必修なのに英語とはまったく関係のないことに気を使うのは神経の無駄遣い(?)だし、もちろん英語にも気を使うので授業が終わるとぐったりしてしまうもう疲れる
最近はもう人生は全然楽しくない、特段つらいこともないけど楽しくない、感情の上下がほばないのでなんで生きてるかわからない、喜怒哀楽もくそもない
怒や哀があるから喜だとか楽の価値があがるのに、怒も哀もくそもない、ただただなにもない方がつらい、なにがつらいの?も聞かれても具体的に説明できない、何もないつらみが1番つらいのかもしれないわからん
人生何もなさすぎて笑ってしまう何かあってもよくない??!!何かがなんなのかは知らんが
色事も特にない、まわりの充実してる大学生はみんな恋だとか愛だとかに一喜一憂している、大学生が一喜一憂するものは恋愛しかないのかもしれないレベルでみんなそれにしか一喜一憂してない、単位落として本気で落ち込んでる人を見たことがない、たぶん単位落として本気で落ち込むような人は単位を落とさない
恋愛もなければ単位も落としてないし、だからといってGPAも微妙である、バイトも何もないし金が入ってもすぐ消えてしまう
遊べばその分課題は先送りになるし、なにか楽しいことをすればその分やることも重くなる、学業が本来のやるべきことなのに、それが嫌でたまらない、遊んだら遊んで終わりがいいのに、遊ぶのは楽しいから、課題があっても遊びを優先してしまう、課題なんて消えてしまえ(じゃあ大学やめろ)
もうこれが五月病じゃなくて六月も七月も続いたらイヤだな、なんか人生に起伏がほしい、人生のグラフが上下にアグレッシブに動いてほしい
ねよ
ダンボールの輪廻
今日は9時から18時までバイトだった
今までとは打って変わって、今日はオープンしていない店での労働だったので、レジ研修と品出しをただただやっていた
品出しはとにかくダンボールのゴミがでる、ダンボールを積んで積んで積みまくるので、溜まったダンボールを3階の店舗から、1階のごみ捨て場まで捨てる必要がある
午前に溜まったダンボールのゴミを、お昼にパートの主婦の方と一緒に数人で捨てに行った
ダンボールを捨てていると、ダンボールの中に紙が混ざっていた。
紙も一緒にダンボール捨て場へ捨てていいかな、なんて主婦の方と話していたら、別のやさしい雰囲気の主婦の人が言った。
「ダンボールは溶かして、またダンボールになるから他のものは混ぜない方がいいんじゃないですかね〜」
なるほど〜となって紙を抜いていたら、その人はふふふ、と笑いながらまた言った
「ダンボールは溶かしたら、またダンボールになって、また溶かされて、ダンボールになって、ダンボールの輪廻ですね」
なので「私はダンボールに生まれ変わりたくないですね」といい、その人は、「ダンボールになったら、ずっとダンボールにしかなれないですもんね」といった
ふたりでふふふ、と笑って3階へまた戻った
そんな感じで今日のバイトはおわった
新店舗でも頑張ろうと思った
おしまい