はっぴーさんくすぎびんぐとその他の不思議な感情

今日はThanksgiving dayだったので、色々な経緯を経て、私はとあるクリスチャンの家庭のサンクスギビングに参加することになった。まさしく"アメリカの家庭のリアルサンクスギビングデー"に参加したわけである(?)

 

感謝祭(かんしゃさい、英語Thanksgiving Day)とは、アメリカ合衆国カナダ祝日のひとつ。Thanksgiving と略称されたり、あるいは七面鳥の日(Turkey Day)と呼んだりもする。アメリカでは11月の第4木曜日、カナダでは10月の第2月曜日になっている。日本のプロテスタントでは収穫感謝日と呼ぶ。(まるまるwikipedia引用)

 

感謝祭は、イギリスからマサチューセッツ州プリマス植民地に移住したピルグリム・ファーザーズの最初の収穫を記念する行事であると一般的に信じられている。ピルグリムプリマスに到着した1620年の冬は大変厳しく、大勢の死者を出したが、翌年、近隣に居住していたインディアンワンパノアグ族からトウモロコシなどの新大陸での作物の栽培知識の教授を得て生き延びられた。1621年の秋は、特に収穫が多かったので、ピルグリムファーザーズはワンパノアグ族を招待して、神の恵みに感謝して共にご馳走をいただいたことが始まりであるとされる。イギリス人の入植者もワンパノアグ族も秋の収穫を祝う伝統を持っていて、この年のこの出来事は特に感謝祭と位置づけられてはいなかった。プリマス植民地で最初に祝われた1623年の感謝祭は食事会というよりもどちらかというと教会で礼拝を行って、神に感謝を捧げる宗教的な意味合いが強かった。(がっつりwikipediaから引用)

 

 

らしい。

もちろん我々の先祖はピルグリムファーザーズではないため、サンクスギビングデーにあたるような祝日はないが、実際に参加して、おせちづくりに似たものを感じた。

 

別名Turkey Dayというだけあって、まじでくそでかい七面鳥をまるまる焼く。サンクスギビングデーの日に近づくとスーパーには大量の七面鳥が売られる。くそでかい七面鳥が、もちろん生々しい感じではないが、大量にスーパーに売られてるのを見たときは、アメリカを感じる。

今日食べたやつは、七面鳥の中にハーブだのセロリだのオニオンだのを香りづけのために入れてオーブンで焼かれたものだった。焼かれたターキーが出てきたときは、まさに目の前に"夢"があるという感じだった。みんなはまるまる焼かれた一匹の七面鳥を目の前で見たことがあるだろうか。私はこれが初めてだった。試しに今いらすとやで"七面鳥"ってうったらまさに、みたいなやつが出てきた。

 

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↑"まさに"な七面鳥

 

他にも多種多様な料理が作られる。マッシュルームの上になんか色々のったやつとか(雑)、オリーブだのクランベリーだのちっちゃい人参だのパンだのマッシュポテトだの、あとデザートはアップルパイとパンプキンパイだのなんだの、とにかくいろんな料理がテーブルに並ぶ。ハラペーニョクリームチーズを入れベーコンで巻いて焼いたやつが美味しかった。あれなら家でも作れそうである。焼いたターキーの骨はあとで出汁をとって料理に使うらしい、そんなの美味しくないわけがない。

 

大量のご馳走をいただきながら、色々な話をきく、サンクスギビンデーの由来とか、いろんな話を聞きながら食事を食べると、とても不思議な気持ちになった。1600年代から始まった行事がこうして今も続いている。昔の人はまさか日本人がサンクスギビングデーを体験する時代になるとは思わなかっただろう。国境を渡って他国の文化を体験すると、その歴史の重みも同時に感じる。ピルグリムファーザーズなんて受験期にしか馴染みのなかったものが、一気に馴染みのあるものに変わる気がする。実際にそこにピルグリムファーザーズはいて、アメリカという国をつくっていったのだ。

 

今日お邪魔した夫妻のお宅はありえん豪邸で、ドラマに出てくるかのような素敵なお家だった。夫はボーイングで働いていた(だか現在進行形)らしい。これがボーイングの財力か(最低)。そこの家の夫妻と息子とその娘、娘の旦那と、私が通ってるカレッジの生徒4人(私含め)でサンクスギビングデーを祝った。

 

娘さんは妊婦さんで、お腹を触らせてもらった。初めて妊婦さんのお腹を触ったかもしれない。触っていたら、中にいる赤ちゃんがお腹を蹴った。これは確実に初めての経験だった。気持ち悪い言い方だが、確かに彼女の中にもう一つの生命体がいた。本当に初めての経験だったのでとても変な気持ちになった。なにか神秘的なものを感じる。クリスチャンの家にいたからか、変に敬虔な気持ちになっていたのかもしれない。生命の中にもう一つ生命がある。考えたらそれってすごく意味のわからない状態だ。

こんなに小さなものが、大きくなってまた新たな生命体をつくる。そうして時代は続いていく。

 

サンクスギビングデーが生まれてから約400年、400年前の行事を今も受け継いで私たちは行なっていて、それできっとこれから生まれてくるその子も、サンクスギビングデーの料理をつくる側になるのだろう、と考えたら、とても変な気持ちになった。この感情少し気持ち悪いけど。

 

帰りは寮まで送ってもらった。車を降りると満月が見えた。昨日Twitterで確か藤原道長が"望月の歌"を詠んだ日から1000年というのを見たのを思い出した(なんでもTwitter)。まさかそんな日をアメリカで過ごすとは思わなかったし、アメリカからみる月と、平安京から見える月は少し違うだろうななんて考えると、なんだかこれも変な気持ちになった。

 

1000年前も月はあって、日本っていう国はざっくりと存在してて、でもピルグリムファーザーズなんていなくて(それこそまだプロテスタントすら1000年前にはなかったし)、長い宇宙の中で短いとも長いともいえる人類の歴史の中に存在してる自分、、、と考えたら奇妙で、変な心地がした。

 

特にこの考えにオチもなにもないけど、せっかく生まれてきたから、満足する人生にしなければ、とどこか心の中で再確認をした。

 

他国にいるといろんな貴重な体験をする。今日もまさしくそうだった。貴重な経験をしたからにはそのときにしか考えられないことを考えたいし感じたい。今日はそれができた日だったので良かった。

次のここでのイベントはクリスマスだ。日本のクリスマスはアメリカのを真似しているからそんなにギャップはなさそうだが、ここは本場(?)アメリカである。本場でしか体験できないことをしたい。

 

〜終〜